記録と記憶

震災の日が、また来ました。
1995年のあの日、あたしはまだ高校1年生で、関西にはいませんでした。当時の記憶もほとんどありません。兄が京都にいたはずなのに、両親の動揺した様子すら見た覚えがありません。でも、あたしが関西に来たのはそのたった2年3ヵ月後です。
今日はバイトの日だったので、バイト先の上司に「震災の日、どうしてましたか?」と訊いてみました。揺れというより下から突き上げられるような感じだった、と先生は言いました。東大阪に行く日だったのだけど、行き先の病院と電話がつながらなくて、仕方なくとりあえず出かけたこと。車のAMラジオで京都・滋賀・大阪の震度が次々に伝えられる中、兵庫の情報はまったくと言っていいほど入ってこなかったこと。病院に着いて、ロビーのTVで横倒しになった阪神高速を見て何が起きたのか訳がわからなかったこと、なんかを話してくれました。知り合いの先生は、当時40万くらいしたノートPCの上に、これまた高価な一眼レフが落っこちて、両方大破したらしい。あたしが直接知ってる最大の被害の、なんと小さいことか。
いろんなところで、新聞記事じゃなくて、あの時神戸にいたひとたちのblogを読んで、今日ラジオから流れてた[奇跡の地球]を思い出しました。